かわいいだけじゃいきていけない!

箒でさっと掃かれて消えてなくならないように

緻密に計算された鈍色の糖度

梅田芸術劇場博多座で9月10月に上演されるEndless SHOCKの出演者が発表されましたね。
そこに、優太くんの名前はありませんでした。
メールを見る直前まで、わたしは、もちろん優太くんがSHOCKカンパニーの一員でユウタを演じる…と、信じていたわけです。
だけど、それが否定されたことで、まったく違う現実をつきつけられたことで、目の前が真っ暗になるとか、悲しくて泣けてくるとか、そういうマイナスの感情は不思議と一縷も浮かんでこなかった。
もちろん動揺はした、動揺したままツイートもしました(下記参照)



(※もちろん、研修の休憩中にメールを見て、休憩中にツイートしました(笑))

そしてきっちり一時間講義を受けて、冷静さを取り戻した後のツイートが↓これ。


上記にもあるけれど、「吐きそう」ってのは、SHOCKに出られないことに、じゃなくて、9月10月は現場が決まっていると思ってたのに、それが白紙になった怖さからの「吐きそう」なんですよ…ジャニーズJr.なのに、『そこに行けば確実に姿を見れる』とわかってる……先の現場予定が明確なんてとってもありがたいことで、それは重々承知しているつもりだったけど、驕っていたのかもしれない…胡座をかいてたんだと…だから、すごく身勝手な不安だよなとは思います。
でもやっぱり不安だよ~:;(∩´﹏`∩);:優太くん9月10月にお仕事あるの!?SHOCKみたいに、少なからずピンでスポットライトあびるようなお仕事があるの!?って、考えちゃう…:;(∩´﹏`∩);:すごく個人的な願いだけど、わたしはTVで姿を見るより生身の姿が見たい派なので、そういう現場が欲しいよ~とも思ってしまう…_(:3」∠)_ 
顔文字混じりでライトにポップに書いてみたけど、ほんとに勝手ですね!いや、勝手でいいと思ってるんですけど。だって、実際どう転んだってそれをちゃんと受け止める覚悟はあるから。


あともうひとつ。こちらの方が本題というか、重要というか。
こうしてSHOCKから離れることが現実となって、自分がSHOCKカンパニーの一員である岸優太に、ユウタに、驚くほど未練がないんだなぁ…とあらためて思ったというか、納得したのです。
なんかねぇ、SHOCKっていう現場はもちろん優太くんにとってもヲタク(=わたし)にとっても特別な現場であることは間違いないんですよ。
優太くんがSHOCKに出演しなかったら、ユウタを演じなかったら、得られなかったものがたくさんある。ダンスの精度が良くなったのも、舞台の楽しさを知ったのも、自分と同じ名前の、でも、自分ではない誰かを演じることも、ストイックに努力することも、今まで交流のなかった先輩と仲良くなれたことも、他にももっと、全部が全部、優太くんの糧になったと思うし、良い影響を与えてくれたと、悪い面なんてこれっぽっちもなかったって疑う余地もなくそう思ってる。
SHOCKに出演して、目に見えて変わっていく優太くんを感じられることが嬉しかったし、カンパニーに可愛がられて、愛されて、可愛さ全開の優太くんが大好き。
だけど、優太くんにとってはSHOCKが全てではない。当たり前だ。むしろSHOCKの方がイレギュラーだ。でも現実的に、その前提が当たり前じゃなくなるようなスケジュールが組まれている。帝劇2ヵ月、梅芸1ヵ月、博多座1ヵ月の計4ヵ月はSHOCKに専念しなければならない。特に、梅芸と博多座は遠征で他の仕事をするのは難しくなる。
2013年に4ヵ月間公演をやり遂げた優太くんのことを誇らしく思う反面、それまでの居場所で勝ち取ってきた(あまり適切でない表現かもしれない、と、承知しています。だけど、他の適切な表現が見つからないのでこれで)ポジションを明け渡してしまう…必然的にそうなることに、焦燥感でいっぱいで苦しくて、どうしようもないモヤモヤを、わたしはずっと持て余してきたんです。
この一年と半年の間にすっかり様相は変わりました。今でもたぶん、納得した訳でも、諦めたわけでもない。不満とか歯がゆさとか悔しさとか、そういうマイナスの感情ででいっぱいになる時だってあるし。
だけどそういう想いとは別の次元で、今のポジションに慣れてしまった。受け入れてしまった。

ここからは全くの余談となりますが…。

「しまった」なんて書くと、すごく後ろ向きっぽいけれど、きっとこれっておかしなコトというよりはむしろ、普通のことなんですよね。後ろめたく思う事柄では、決してない。だって、ジャニーズJr.である限り、デビューしていない限り、バックダンサーをつとめている限り、居場所の保証なんてないのだから。
スポットライトのおこぼれをもらえるような前線で踊っている、あわよくばスポットライトを一身に浴びて踊らせてもらったり、マイクを持たせてもらってる、だけどその次の日にはそこに居場所はないのかも。夢のように、泡沫のように、脆く儚いもの。
ジャニーズJr.のひとりを担当にするようになってから、この考え方はいつも頭の片隅に持っていなければならないと意識的に思っているのですが、でも、時々忘れてしまうんです。
幸せですね、幸せにしてくれてるんだと思います、優太くんが。
そんな阿呆なわたしだから、ここ最近は苦しくなったり悲しくなったりすることが多いんだけど。一寸先は闇っていう、そういうシステム自体はべつに枷なんかじゃないんですよね。ああいう生存競争の厳しい中でいつ何時も変わらずに在り続けられなければ、その先はない…んです、きっと。
彼らはそれを承知でその世界に飛び込んで今、そこに在る。だから屈折にも耐え居場所を作り上げられるか否かなんて、本人の覚悟だったり努力だったり知恵だったり才能だったり…とにかく渦中にある当人しか背負えない。だから極論、ファンが出来ることって実はひとつもないんじゃないかとすら、思うことも、あります。
だけどそれじゃ虚しすぎるでしょ?ファンがいることで少しでも本人の活力につながればいいなと思うし、少しでも大人の目に留めてもらえるように写真を買ったりアンケートを書いたりする、そうやって応援することを無駄なことだと思いたくない。応援することに意味を見出すなんて傲慢だと思うけれど、そうじゃなかったらファン(=わたし)の存在意義がなくなっちゃうもんね。

…と、余談のくせに書きすぎてしまいました。しかも終わりがないという…すみません。

閑話休題

さんざんクズグズしてきて一体なにが言いたかったのか、ってね。
わたしにとっては同年代の子たちと一緒の現場で輝きを放つ優太くんが、SHOCKのユウタよりも価値があるってことなんですよ。だから、今年も4ヵ月、SHOCKに出るんだとしたら、それは、とてつもなく嬉しい一方でとてつもなく不安だった。これから先のことを考えたときに、そこ以外どこにも行けなくなりそうで。
なーんだつまんねぇ!しかもめんどくせー!って思うでしょ?わたしもそう思う。
だけどグズグズしょうもないことを言いたくもなるよ、人間だもの(ちょりを)と、いうわけで、もう少しだけおつきあいください。

優太くんてとっても流されやすい人間…染まりやすい人間だと思っていて。それってどこにでも居場所を作れるってことだから別に非難したいわけじゃ、これっぽっちもないんだけど。
2014年のSHOCK帝劇公演を終えてからは、その後の現場で見る優太くんの姿で気になることが少しあって。
確かにダンスの精度は良くなったと思う、だけど、なに踊ってもSHOCKが抜けないんです。
特にターン。わたしね、優太くんのターン好きです。きれいだから。SHOCKのAmericaという楽曲でダンスするようになってから、ほんときれいにターンをするようになった。優太くん自身も好きだといわれることや褒められることが多いと思う、それを自分の武器にして、なんにもおかしくないと思う。
だけど…だけどね、それは曲に合った踊りをするからいいのであって、やたらめったらターンすればいいってもんじゃないと…わたしなんかはね、思うわけです。
それが胸につっかえていて、だからそういう意味でもほっとした。SHOCKから離れることに。

もしこれからもSHOCKに関わることがあったとしても、それは少し先の未来でいいのかと思う。
他の現場でもがいて、挫けて、立ち上がって、そうしてぐんと成長した後にに出るSHOCKは、優太くんにとってまた違う意味を持ってくると思うから。

私の見方が偏っているだけだってわかってます、これはとても個人的な話で、誰かに共感してもらいたいとか、誰かを啓蒙したいとか、別の考えを否定したいとかそういうことではありません。自分のためにこれをちゃんと吐き出しておきたかった。だって胸にしまっておくと苦しいんだもの…。


SHOCKはとっても甘い蜜だったけど、そろそろ旅立ちの時。7月にはドラマがスタートするし、この秋もきっと、SHOCKのユウタにかわるような素敵な姿を別のお仕事で魅せてくれると信じています。